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高齢者サロンで徳川家達公屋敷跡図面を読み解く

2026年6月17日、高齢者サロンで徳川家達公の屋敷跡の図面を読み解きました。正門(現在、静岡市立高校に移設された田安門)と勝手門(現在、松源寺に移設されお寺の門になっています。)も記載され、各お部屋の畳数、配置、井戸の位置、馬場や馬舎、建仁寺垣、鎮守(多分、警備員詰め所)、物御台(外の様子も見れた)、屋敷の周りには「流れ」という文字(北川が流れていた)など当時の生活様式などが垣間見れるものでした。そして我々が注目したのは、隣接南側のあたりに「御器屋町通り」の文字、私達、自治会は今は地名は西草深町ですが、昭和44年まで御器屋町でした。だから現在の自治会名は「西草深町・御器屋区自治会」と言いますが、その所以となる「御器屋町」という地名がこの明治3年の図面に記載されていることでした。
2026年6月17日、高齢者サロンで徳川家達公の屋敷跡の図面を読み解きました。正門(現在、静岡市立高校に移設された田安門)と勝手門(現在、松源寺に移設されお寺の門になっています。)も記載され、各お部屋の畳数、配置、井戸の位置、馬場や馬舎、建仁寺垣、鎮守(多分、警備員詰め所)、物御台(外の様子も見れた)、屋敷の周りには「流れ」という文字(北川が流れていた)など当時の生活様式などが垣間見れるものでした。そして我々が注目したのは、隣接南側のあたりに「御器屋町通り」の文字、私達、自治会は今は地名は西草深町ですが、昭和44年まで御器屋町でした。だから現在の自治会名は「西草深町・御器屋区自治会」と言いますが、その所以となる「御器屋町」という地名がこの明治3年の図面に記載されていることでした。

 
 
 

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