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西草深町・御器屋区自治会は昭和44年(1969年)以前は御器屋町という町内でした。

御器屋町(ごきやちょう)の歴史

   御器屋町の町名は、江戸時代の初めに御器(食物を盛る蓋つきの椀)を作る職人が居住したことに由来するとされています。
   「元禄五年駿府町数人数覚帳」によると御器屋町の家数は二七軒半、人数百九十三人をかぞえました。
   江戸時代の地誌「駿国雑誌」には、徳川家康公が駿府に在城していた当時、この町の職人の手による「浅木御定器」を献上していたと記されています。
   御器の献上は徳川頼宣公(家康公の十男)・忠長公(三代将軍家光公の弟)の時代も続き、このことにより、諸役御免の恩恵を受けていました。
   また、町内にはかつて以信寺(いしんじ)という寺院があり、現在の安西小の前身として寺子屋教育が行われていたといわれています。

徳川家康公
徳川頼宣公
徳川忠長公
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